どうして「お金」でパンが買えるの?
なんか最近感情ってどういうふうに解釈すればいいのか興味をもった。
別に自分には感情がないとか電波なこというつもりはない。
自分が機械学習をやっているので意思決定の基準を確立を利用した利益最大化として定義することでできることはある程度知っている。 一方で信頼とか怒りとかそういった感情は定量化することはできるのか、できるとすればどのような分野で考察されているのかというところがどうも気になった。
これのきっかけとしては以下の本を見て「信頼」って何なんだろうと思ったのがきっかけ。
- 作者: エドワード・カストロノヴァ,伊能早苗,山本章子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/中経出版
- 発売日: 2014/06/10
- メディア: 単行本
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この本はタイトルだけ見るとビットコインとか最近出てきた仮想通貨の性質を考察しているのかと思ってたけど、実際にはオンラインゲームの通貨などの「バーチャル(仮想的な)」通貨の特徴を見ていくことで、「リアルな(現実の)」通貨の特徴が見えてくるといった構造。
最終的にはオンライン決済・ビットコインなどのただの秩序的なデータ集合がリアルな価値を持っているという一見イカれてる状態は、 普通のお金に対して「みんながこれに価値があると思っている」→「お金には価値がある!」という「お金とはなにか」という話に向かっていく。
かなりわかりやすい話の流れで、一般受けする話の流れだと思う。 ただタイトルがタイトルだけにどうしても手にとって読んでみる層が限られるのかもしれない。
話が長くなったけど、けっきょく何が言いたいかというと直感的に考えてみるとお金って「実利的な」価値はないよね、ということ。
ここで「実利的な」といっているのはパンは食べられる・水は飲めるため「実利的な価値」があるという意味。 具体的に比較すると東京の街中のとある場所で、確実に①、②のどちらか一方をもらうことができるとする。あなたはどちらに価値があると思いますか?というおはなし
①コップ一杯の水+食パン2枚 ②10000円札
この問に対して私なら②のほうが価値があると思う。なぜなら日本のコンビニがあるような街にいる限りお金を出せば①以上の価値を用意に得ることができると「信頼」しているからだ。
ではなんで「信頼」しているのかと聞かれても、今の私の知識では「みんながお金を何かと交換してくるから」という以上に説明することができない。ここに直感とは異なる社会的なシステムを「当然」のものとして私を含めた「みんな」が受け入れている状態がかなり不思議に思えた。
なかなか難しいかもしれないけどちょっと調べてみよう、と思った。
参考になる本とかあったらぜひ教えてください。